前世

マサマンカレーというカレーを食べた。

「世界でいちばん美味しい料理」とメニューに書いてあったので、お洒落な見かけによらずえらい強気な店だなぁと思ったが、そういうわけではなくて、何かのちゃんとしたランキングで選ばれたらしい。

どういう基準でだれが選んだのかわからないし、味覚なんて人それぞれじゃないか、その人が美味しければそれで十分なのだから、と思う。

感じ方も好き嫌いも人それぞれだし、他人と味覚を共有することは不可能なわけだし、それを客観的に論じようとすることになんの意味があるのか、と。

そうこう考えているうちに、あれこの話なんかに似てるな、とふと思った。

自分が音楽の批評について考えていることと同じ、いや、逆だ。

音楽評論家/ジャーナリスト/ライター…肩書きは様々だが、そうした類の人のTwitterのリプ欄には、いまさっき自分が書いたようなリプがいつも並んでいて、クソリプだなぁといつも思っていた。

音楽の受け取り方なんて自由だし自分が好きならそれでいいじゃないか、なんていうことを熱く宣っている人たちに対して、本当にくだらないなぁと思っていた。

だけど、自分がいま料理について、その人たちと同じようなことを言っている。

そのことに気づくと、なんだか恥ずかしいような、考え方を改めなきゃなというような気持ちになった。

何事も自分が好きなものに置きかえてみると、それを大事にしている人たちの気持ちがわかるかもしれない。

そういう想像力を大事にしよう、という教訓。

教訓なんてこのブログで書くつもりはなかったけど。

 

 

多角形って、何かのメタファーとしておもしろい気がした。

角が増えるたびに、丸に近づいていく。

辺=面が増えるたびに、丸に近づいていく。

角が増えるたびに、一つ一つの角は鈍くなっていく。

人間らしさを感じる。

 

 

ESで「あなたの前世は何ですか?」と聞かれた。

本当に全然何も思い浮かばなくて(もちろんこの”全然”は前前前世とかけている)、「就活 前世」で検索してもみたけれど、「猫:マイペースだから」みたいなやつばかりでくそつまらないし、思ってもない嘘を書く人間にはなりたくないから、自分で考えることにした。

そもそも前世みたいな概念は信じていないというかあんまり好きじゃないし、ましてや前世が他の生き物だったなんて到底考えられない。

考えられるとしたらせめて人しかない。

そうだそれだ、あ、いい理由も思いついたと思ってこう書いた。

 

前世:自分

理由:「人生1周してる?」「人生2回目みたいだね」と小さい頃からよく言われるから、そうなのかもしれない。

 

ユニークだし、ちょっと洒落が効いているし、達観した性格みたいなものも現れているから、なかなかいいじゃんと思って満足して提出した。

そういえば「人生1周してる?」とも「人生2回目みたいだね」とも言われたことはないことには、提出してから気がついた。

スラスラと嘘を書いていたけれど、不思議となんの罪悪感もない。

そんなもんかもしれない。

 

 

前回から2週間ほど空いちゃったけれど、最近わりと読んでもらっている感触があるので、ゆるゆる書き続けていこうとは思ってます。

それなりに、自分なりに、面白いものを書こうと思っているし、面白くないものは書きたくないという思いもあるので、シンプルにネタがないんですよね。

なのでまぁ、たまにふらっと覗いてもらえれば。