ひとり

ライブとか美術館とかよく行くけど、だいたい1人で行く。

ライブも美術館も、誰かと一緒に行くことに理由を見出しにくい。

ライブも美術館も、アート/アーティスト/絵画/音楽と1対1で正対するための時間/空間だと思っているしそれを楽しんでいるから、誰かと一緒に行くことに積極的な理由が見当たらない。

そうはいっても誰かに誘われれば喜んで一緒に行くし、それはそれで楽しい。

確かに楽しいけれど、それの何が楽しいかといえば、自分1人では行くことがなかったであろうライブ/美術館などに行くこと(どこに行くかというチョイス)であったり、ライブや美術館に行って帰る道中の他愛もない会話が楽しいのであって、ライブという体験、美術館という体験そのものが、他者の存在によってより魅力的になるかといえば、そうではないように思う。

おそらく誰かとそういう場所に行くときのメジャーな楽しみ方として、「感想を語り合う」というものがあると思うが、それがあまりピンとこない。

アートに触れても自分は言葉が何も出てこない。

そのアートから、アーティストから、めちゃくちゃ何かを感じて心の中がザワザワしたり、ワクワクしたり、ゾクゾクしたり、モヤモヤしたりしているけれど、それを言語化することができないから、隣にいる人と語り合う言葉がない。

話そうと思えば話すことはあるかもしれないけど、猫が書いてある絵を見て「猫が描いてあるね」とか「猫かわいいね」とか、現代アートを見て「すごいね」とか「よくわかんないね」とか、ライブに行って「あの曲やったね」とか「歌詞まちがえたね」とか、そういうチープで誰にでも言える”事実”に近い内容のことしか言えないし、そんなことはわざわざ口にしたくないな、と思う。

それ以上に大きくて大事なものが心にある中で、それが言葉にできないからといって、言葉にできる程度のどうでもいいことをわざわざ口にしても、あーそうじゃないんだよな、という気持ちになるし、そんな空虚な会話をするくらいなら会話なんてしないほうがいいと自分は思っている。

まぁ自分は音楽についてはわりと言語化したくなる方だし言語化するのは得意な方だと思うけど、それは会話として成立する類のものではないということもわかっているから、あまり声には出さない。

だから自分は誰かとライブや美術館に行っても、それを見ている最中も基本的に喋らないし、終わってからもそれについての感想はあまり言わない。

それが気まずいと感じる人とは行かないし、逆に色々と話しかけられるのも面倒くさい。

でも、だからこそ、それぞれが1対1でアートと向き合う無言の時間を他人と共有できるということは尊いことだなと思うし、それができる相手は尊い存在だなとも思う。

だから、誰かと一緒にそういう場所に行くことは嫌いじゃないし、むしろ好き。

 

美術館ってデートスポットの定番として言われることもあるし、実際美術館でカップルを見かけることはよくあるけど、みんなその”尊さ”の域を楽しむために美術館に行ってるのだろうか。

そうじゃないとしたら、アートを見て何を喋って楽しんでいるんだろう。

何を思ったか、みんなそんなに言語化できるものなのだろうか。

 

そんな話。