日記

妙に体が疲れたから、まだ早い時間だけどもう寝ようかと思ってる。

寝ることは好きか嫌いかで言えば好きだし、十分な睡眠をかなり大事にしているけど、寝ることは毎日少しだけ怖い。

毎晩意識を失って、回復する。

その繰り返し。

眠りにつく瞬間のことは誰も知らない。

眠りにつく瞬間のことを考えてるといつまで経っても眠りにつけなくて、でもいつの間にか眠っていて、起きて初めて眠っていたことに気づき、そんなことを考えていたことすら忘れてしまう。

得体の知らない力が毎日自分を意識のない世界へと引きずり込んでいるような気がして、その世界と死との間に違いがあるのかわからない。

これまで20年間、毎日寝る度に起きることができたけど、それはたまたま奇跡的なことが積み重なってきただけで、もう二度と起きれないことがあるのかもしれない。

永遠の眠りというのは比喩でもあるけど紛うことなき事実でもあって、でも永遠というのは実在するのか概念なのかわからなくて。

永遠という言葉を聞く度に、小さい頃に読んだ宇宙大百科みたいな大きな本にあった、「地球も6億年後には太陽に飲み込まれて無くなると言われています」と書かれたページを思い出す。

6億年後だったか40億年後だったか1年後だったかは覚えてないし、それが本当なのかも定かじゃないけど、地球がなくなった後にも永遠ってあるのかなということや、地球が滅びる瞬間人類は何をしているのだろうなどと、とりとめもない想像をして怖くなる。

そしてそんなことを考えていると、宇宙の中で、でもその宇宙でさえも絶対的な存在ではない中で、自分というのはホントに一瞬の微粒子みたいな存在なんだなと思って、なぜいま自分が比喩ではなく地に足つけて立っているのかがわからなくなる。

そんなことを幼少期から繰り返していて、大人になったらこんなこと考えなくなるのかなと思っていたけど、どうやらそうでもないらしい。

あるいは自分はまだ大人じゃないということなのか。

こんなことを考えていると寝るのが少し億劫になって、もう少し起きていようかなと思う。

 

関係ないけど、小学校4年生か5年生で初めてハリー・ポッターの第1巻(賢者の石)を読んだ頃、1人で部屋にいたりシャワーをしたりしていると、突然背後にヴォルデモートが取り憑いたクィレル先生がいるような気がしてきて、後ろを振り向くのが怖かった。

永遠や宇宙について考える瞬間と、この怯えながら後ろを振り向く瞬間は、自分の子供の頃の記憶の中で、同じ引き出しにしまってあって、よく同時に思い出す。

さすがにクィレル先生に怯えることはもうないけど。